本当の平安

あれは、25年以上前の話し。
私は結婚して、
当時主人が勤めていた浜松にいたころでした。


当時も、主人と私は別々の教会で
礼拝を守っていました。


水曜日に祈祷会があり
私は毎週休むこともなく、
教会に足を運んでいました。


そんなある日のことでした。


「まさに教会とは無縁的」というか
ひとりの奇抜な男性が教会に入ってきました。
その男性は首に太い金のネックレスをして
短パンから、今まで見たこともないほどの
筋肉の塊のような腿を出して
…ジロジロ見た訳でもないですが、
その時の印象を今でもハッキリ覚えています。


彼は祈祷会が終わると
「聞きたいことがある」そう、
牧師先生に切りだしていました。


それは、
教会のところに貼りだされた聖書の言葉でした。
「疲れた者、重荷を負う者は、
だれもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」
という『マタイによる福音書』11章28節の言葉で


「この『わたし』って誰ですか?」


それが「イエス・キリスト」だとわかると
彼は不思議に饒舌になって
自分は競輪の選手であること、
教会の裏の公園でクビを吊ろうと思って下見に来たこと
…などを堰を切ったように語りだした。


帰り際、
「いくら払えばいいですか?」の言葉に
私は声を上げて笑ってしまったのを
昨日のことのように覚えています。
「タダ」だとわかると彼は喜んで
今まで「占い師」や「祈祷師」に
相当な額を払ってきたことを惜しんでいました。


彼は「自殺」を考えていたとは思えないほど
「また来ます!」そう言って
ピッカピカの赤いスポーツカーに乗って
笑顔で帰っていきました。


その後、
彼はクリスチャンになりました。


エス様と出会うと
状況はそのままでも
心は全く変えられてしまうのです。


「あなたがたに平安を残します。
わたしは、あなたがたに、
わたしの平安を与えます。
わたしがあなたがたに与えるのは、
世が与えるのとは違います。
あなたがたは
心を騒がしてはなりません。
恐れてはなりません。」
ヨハネ福音書 14章27節)


もちろん、この聖書の「わたし」も
イエス・キリストのことです。