「マイナス」をどうする?

先日ブログですべて「偶然」はなく
「必然」と言いましたが、
そう考えると「マイナス」の部分が
「マイナス」で終わらなくなります。


つまり、人間的に失敗に見えても
それは、「神の目的があって許されたこと」と考えるなら
「マイナス」の見方が変わります。


なかなかそう思えないのが人間ですが、
命が平等のように
(長さは人それぞれですが、尊さは同じという意味です)
「死」が来ることが平等のように
「幸せ」になる要素も平等だと思うのです。
いえ、「ハンディ」は、むしろ「神の計画」があると思うのです。
私の言葉じゃ、信用なくても
永遠のベストセラー聖書でイエス様ご自身が
言われているからです。


目の見えない人を見て、弟子が
「あの人自身が罪を犯したのですか?
それとも両親の罪のためですか?」
そんな質問に、
「盲目に生まれついたのは、神の栄光があらわれるため」と
エス様が答えられるのです。


「ゴスペル」も楽譜を読む教育を受けられない
差別を受けた黒人たちの口伝えの歌が
なんと日本にまで影響を及ぼすまでになった訳ですから。
差別を受けなければ、このような「ゴスペル」が
生まれてきたでしょうか。


「マイナス」を「マイナス」と思って
生きる生き方を選択することも、
「マイナス」が「プラス」として生きる生き方も
選ぶのは自分であり、それが自分の人生になるのですから。


あらゆる「マイナス」に
「神が許された、特別な計画のために」と思えたら、
「委ねる」ことができたと言える訳です。


正直、私自身まだまだ「委ねきる」までいけません。
「委ねきる」ことができたら、
天国へのお迎えが来るのでしょう。


…長生きしそうです。