偏見

「ゴスペル」は「偏見」から
生まれたと言っても過言ではない。
「黒人」ということだけで教育も受けられず、
そのことが、口伝えで歌を伝えるという
(コール & リスポンス)手法しか方法がなかった。
そして「掛け合い」を特徴とする
「ゴスペル」という歌い方が生まれた。


「いじめ」や「偏見」で、もしかしたら
大きなエネルギーを貰えるのかもしれない。
その「エネルギー」を多くの人は知らず、
そして、残念なこと
「自ら命を絶つ」という悲しい選択をしてしまう
人もおられる。


私も、漏れず「偏見」を受けることがある。
パフォーマンスとのギャップがあり
学歴、経歴など、期待されるほどのものがないので。
急変される態度を受ける時、
この「偏見」によってむしろ
私の音楽が暖められてきたんだと思えるようになった。


そう、だからむしろ、
「ゴスペル」を歌うために生まれて来たんだと。


でも「肌が黒い」という偏見から比べれば
私はある意味、自分で選びとった人生で
誰のセイでもなく、自分のセイなので
「仕方ない」と言えばしかたない。


でも、間違いなく、
私は自分を誇ることがないため
神のみが栄光を受けるために
このことを許された。


きのう、私が20代のころから
お世話になっている方とお話する時が与えられた。
「コンサート素晴らしかった!!
なにが素晴らしいって
衣装のドレスが最高だった…。」
「そ、そこですか。」


そして、次から次へ、お褒めのおことば。
髪型、太っているのがわからない洋服の形など…。
そして、
「何が残念って…首飾りがとれてしまったこと」
「そ、そこですか」


とうとう
「あの〜音楽はいかがでしたか?」とお聞きすると
「歌もピアノも上手いのは知ってますから。
それに歌手といっても、
あなたのように勉強されてる方は少ないですよ。」
そして、
「だれにも真似できないこと。
あれだけの人を前にして、あの落ち着きは
どんな中傷や、攻撃をもろともしない生き方が
わかりましたよ。」
「はい。かなり頑固です!」


「教える仕事」を半世紀に
渡ってこられた指導者のお言葉を
ありがたく頂きました。


「偏見」を受けてると言っても、「すべて」ではないし、
わかってくださる方は、たくさんおられるので
私は「恵まれている」とあらためて感謝に思ったのでした。