それぞれの十字架

本当にこの世には
いろいろな人が存在している。
「女ばかり産まれています。
これから先どうなるのでしょう。」
なんてニュースに流れることもなく、
うまい具合に男女産み分かれて…。


全員が医師ではなく、教師でもない。


多くの人が「歌手」を目指し、
多くの人が「メジャー」になることを夢見ている。
でも「歌手」としてテレビに出ている人は
砂浜の砂ひと掴みもいない。
まして、長い間テレビで活躍し、
歌い続けている方は希少である。


そういう方を思い描いてみると、
歌うことの努力は惜しまなかったかもしれないが、
音大を出た訳でも、特別な教育を受けた人でもない。
「流し」で歌い続けたとか、路上LIVEで歌い続けたとか。


とても煌びやかに見える世界だが、
ただならぬ「負」の部分も隠れていると思う。


だから、そのような方は
なるべきしてなっているんではないかと。
努力が実を結んだというより、
「運がよかった」訳でもなく、
実力だけでもなく、
そのように神の召しに預かった方だと。


面白い話しがある。


人がそれぞれの十字架を背負って歩いていた。
ある日、他の人の十字架を比べたら
自分の十字架より、他がよく見えた。
エス様がドアの入り口に立っておられ、
「私の十字架を変えてください」とお願いする。
「では、このドアからお入りなさい。
背負う十字架が決まったら、またこのドアから出て来なさい」
その男は大喜びで入って
いろいろな十字架を試した。
「煌びやかな十字架は、重すぎて背負えない」
「見た目が素敵でも、自分の背丈にあわない」
やっとちょうどいい十字架を見つけそのドアから出て来た。
エス様がその男に言った。
「その十字架は、あなたが初めに背負っていたものですね」