神の奇跡

さて、
「教会」に行ってみたけど、何も起こらなかった…。
本当に「祈り」が聞かれるのか。


そんなお声に、私なりにお答えします。
あくまで、私の一つの意見です。
御参考まで。


教会に行って一回で、劇的に変わる人もいます。
例えば、「アメージング・グレイス」を作詞した
ジョン・ニュートンなどは、「奴隷船の船長」から
「回心した船長」という名の宣教師になった。
それは、求め方も「飢え渇き」があったし、母の祈りもあった。


でも、多くは1回で魔法や手品じゃないのでかわりません。
聖書に「種まき」のたとえがありますが
「信じる」ことは「種を蒔く」ことに匹敵すると思うのです。
初めは、種を埋めても変わらなく見えます。
でも、日が経てば、「何の種を蒔いたか」
わかるようになる訳です。


私が「潰瘍性大腸炎」で入院した時でした。
「神様、あなたに従って来ても、毎日変わらない。
いったい私のしていることが実を結ぶんでしょうか。」
そんな祈りを捧げていた矢先で
まさに「泣きっ面に蜂」でした。
そして、絶食、点滴に繋がれた生活が強いられたのです。


さぁここだけで判断するなら
私の祈りは聞かれていないと、どなたでも思うでしょう。


私は断食、点滴、薬の投与がなんと77日間。
そして78日めに「食事をきょうからはじめましょう」
そして2週間後「では、退院の日取りをきめましょう」。
私は、断食、点滴、薬の投与の変わらない毎日を過ごしていました。
でも、日が満ちて、食事ができ、退院できる。


そうなんだ…。変わらないようだけど積み重ねているんだ。
そして「薄皮を剥ぐよう」に必ず
「時」が来るのだとわかったのです。


「祈り」は自分の考えていることでないかもしれません。
でも、必ず聞かれます。


「本多さんはいいね」とよく言われます。
でも、私の壮絶な生き方を知ったら
「本多さんでなくてよかった」と思います…きっと。


ゴスペルも黒人の差別から生まれたものです。
肌は黒いまま、だから「祈り」は聞かれなかったのでしょうか。
…楽譜を読む教育を受けなかった彼らが
口伝えのゴスペルを生みだし、日本に伝わり、
私がそのゴスペルを通して、神を賛美している。
そして、癒されていく姿を見る時、
まさに、「祈り」は聞かれていると思いませんか。