今週のお題「イヌ好き?ネコ好き?それ以外?」

「犬派」「猫派」って、そもそも「猫と犬の違い」は?
「猫」は動作がなんとも「かわいい」…けど
気分屋なとこもある、エサには勝てない。
食いしん坊な私には理解できるけど
私は断然「犬派」です!!
「犬」の良さは、飼い主一筋…いいですねぇ。


神様は、どういう好みなのでしょう。


ところで、聖書って「逆説」って私が言葉にしますが
その中でも、面白いのが
「取るに足りないものを選ばれる」ってこと。
確かに聖書が言われるように初めから立派だったら
「神の栄光」よりその人の栄光になってしまうでしょう。
名もないマリアをイエス様の母に選んだ神様。


まぁ、身近な話しでハシにも棒にもかからないような私に
賛美の力を与えてくださって…。
親友が私に言ってくれるのは
「神様を語らなくていい。歌聴くだけで神の存在がわかる」。
「あんまり神様語ると反って洗脳される」って思うらしい。


取るに足りないにしても
「神の選び」って不公平じゃんって?!


神学校中退の私の未熟な考えですが、
初めからそうなのかな?…と思うのです。
「あまねく地を回り、神の御心に適う人を探す」
「神は御心を変えて」
「祝福か呪いを選べ」とか
人間側にあり、私たちの自由意思が左右するのでは。
神様は私たち側が、どちらを選ぶかはもちろん知っている。


私の場合、(前にも書いたかもしれないが)
「私の賛美を捧げます」とある日祈ってしまった。
信じたんだから「GOOD BETTER BEST」だったら
「BESTがいい!!」とも祈ってしまった。


それから「針のむしろ」状態。
「人間不信」になるくらいの渦の中に私を置いた。
私は当然「華々しく用いられる」と期待していたが
ことごとく打ち消された。
ある日、主人が
「ワナがわかっているんだから、歌わなきゃいいじゃん」。
その時、泣きながら
「『捧げる』って神様に言っちゃったんだから、私からやめられない!」
そんな私に神様はひとつの「幻」を見せた。


私は綺麗なたった一つしかない花瓶を
「きっと美しい花を飾ってくれる」と思ってさし上げた。
その方は(高貴な人…それが誰かわからない)
大事そうに両手で持って眺めてから、ゆっくり持って行った。
そして、ドアの向こうに、それを置いた。
そこは、幼い時の「お仕置き」の「物置場」だった。
私はそこで叫んだ!


「え〜っ!!お花を生けてくれないのー?」


すると声が聴こえた。
「『捧げる』ってこういうことだよ」。


それからは「修行」と思って仕えました。
正直、「だったら、やめた!」と言うこともできたと思うのです。
そうしたら、今の私は間違いなく100%いないでしょうね。


話しはかなり脱線しましたので戻りますが
ロボットとペットでは便利さはロボットには敵わないけど
「かわいさ」は絶対ペット。
神様も「便利な人を創ろう」とはお考えにはならず
「自由意思」で神に信頼することを選ぶことを喜ばれる。


もし、犬を飼って、エサが欲しくて
義理でシッポふっていたらどうだろう。
「ご主人さま、大好き!」とシッポふるから
かわいいんじゃないかな。


えっ!?猫派ですか…。