証拠を見せて(2)

結婚する前、私はK社の音楽講師を辞め
自宅で「ピアノ教室」を開業していた。
幼児グループは特に人気があり、
キャンセル待ちが出るほどだった。
まぁ、ここまで書くと「自慢話かよ」って。


人間って不思議なもので収入が多くなると高慢になるし、
恵まれ過ぎると、悩みも増える。
自分自身の存在も見えなくなって
そのころ、教会に行き始めた。


優秀でもない、性格もよいとは言えない、
教会もランチが一番楽しみ。
はたして神様は例外なく、
いえ、私を愛してくださっているのだろうか。
そこで、私は祈った。


「私を愛しているなら証拠を見せてください」


それが正しい祈りだったとは言えない。
「神を試してはならない」という
危険な祈りだったかもしれないが、
真剣に祈ったことが答えられたのだと思う。


前置きが長くなったが、本題に入ります。


Kさんの親子がグループに入られた。
3人姉妹の末っ子ちゃんでした。
(上の二人の姉妹はすでに個人レッスンを受けていた。)
初めは「先生、これの方がいいですよ」と言われ、
グループ全体を動かす発言が多かった。
ある日、「これの方がいいのに」と勝手に
私の指示した方法と違うことをされることが多くなり、
思いあまって「後で話しがあります」と呼びだし
「輪を乱すのでやめてくださいませんか」と退会を促した。
Kさんは「わかりました」涙を溜めていた。
3人の姉妹は教室を去って行った。


スッキリしたと思ったが、後味の悪さどころではない。
うなされるほど、頭から離れない。
「代わりの子はいるじゃないか」そう言い聞かせても
子供たちの笑顔がそれぞれ頭に浮かんで来た。
「上手いとか、ヘタじゃない。あの子たち可愛かったな。
本当に私がいやだったら来なかったじゃないか。
私はなんて罪深いことをしてしまったんだろう。」
居ても立ってもいられなくなり、
正直に思いをそのまま筆に託した。


その後、Kさんのご主人からお電話を頂いた。
謝罪、手紙のお礼、そして
「もう一度、習わせてもらえないだろうか」
私は涙を抑えて「もちろんです!」と答えた。


再会し、お互いに土下座して涙した。


それは祈りの答えでした。
「存在そのものの価値」
「神の愛」を少しだけ体験した出来事でした。


そのあと、結婚してその教室を辞めるまで
Kさんは私の最強の協力者となり、
3人姉妹はビックリするほどピアノ上達しましたね。