手話の歴史

昨日、手話の講座を受けた。
講師は、ろう者の方で、
巧みな手話を使って、あきさせない2時間半(休憩10分)だった。


手話通訳のための手話講座は
何年か前から、応募数が多く、毎年レベルも上がり
厳しいところを通らなければならなくなった。
講義は100%、講座は80%の出席、
毎回のレポート、行事の参加・報告など
最低5年はかかるようになっている。


「一念発起」で始めたが、さて続くだろうか。
もし、続いたら、私的には「奇跡」だし、
何か導きがあるのだろう…と思う。


きょうは初日であったが、まだ自分の車が手元になく
ナビのない代車だったので
1時間余裕を見ても、道に迷い、やっと着いたビルで
ホワイト・ボードにある案内を見間違えて、6階をグルグル。
5階の部屋に辿り着いた時は3分前。
始まる前に、もうクタクタ。
先が思いやられます。


ところで、まだ手話の歴史は400年。
なぜ手話が発展しなかったのか?認められなかったのか?


それは「日本」の閉鎖的な教え、
障害者が生まれるのは「先祖のたたり」として
囲ってしまったことが大きな要因だったようだ。
見えない、聞こえない、…障害があれば
「陽の目のない」一生だった。
考えられないような非人格的な扱いを
公然と受けていたことになる。


今は打って変わって、
ろう者が講師になり、健聴者が生徒。
それも、お金、時間、労力を使ってでも
「手話」を学びたいという人で溢れている。
その当時からでは想像もつかないし、
夢のような話し…かも。


まるでゴスペルみたい…虐げられて生まれた。


苦しんでいるままにはさせない!
やっぱ神様は素晴らしい!!
最後に笑う者は誰か…今まで虐げられた人たちではないか。