パッション

私は「熱い」とか「情熱家」とか
言われることもある。
感情の起伏が激しいのかな。


感情の起伏が激しいのは
関西人、いえ韓国人並み?!


いえ、そこまでではないですね。
聞くところによると
道を歩いていて、もし足を踏んでしまったら
あるいは踏まれたら、
西洋人はすぐ「EXCUSE ME」と謝るが
韓国人はそこから喧嘩が始まるとか。


クリスチャンになる前
私の性格はキムチに勝るくらい
もっと激しかった…と記憶しています。


先日、ある方とお会いして
「もっと砕かれたいんです。
そうすれば成長するし、
自身がもっているものが進化するから」
その方いわく、自身のもの…それは
私は、「音楽」で、その方は「言葉」だそうです。


確かに、いろいろなことを通して砕かれた時、
私の中で音楽が「進化」した経験があります。


大腸の病気で入院し、4ヶ月後退院。
そして、すぐに演奏の場が与えられた。
その時、知人に言われた。
「歌が変わった」
「どういう風に?」
「前は『歌うから聴け!』的な強引さがあった」
「今は?」
「もの凄く『自然』。ストンと心に落ちる」


あと、砕かれなくても
ずっと重ねて来たものが
時を越えて、月日を経て実となって
表に出てくることもありますね。


今回LIVEで歌った「Lascia ch'io pianga 」。
1週間前に「歌える?」と言われ、
ギターと合わせて歌わせていただいた。
実は、高校の時に学んだ歌曲。
初見じゃ無理だったろうから、(イタリア語だし)
その時、貯金しておいてよかった。
作曲も、以前、川口耕平先生に師事して
勉強させていただいたことがあった。


そう考えると
勉強して「無駄」なことって早々「ない」かもしれない。
いや、勉強だけでなく、
失敗したことや、弱さでさえ大きな恵みとなる。
なぜなら、「謙虚さ」を私に教える。


正直、クリスチャンになる前と今は
「罪意識」の面が違います。
法で裁かれなければならないもの以外は
すべて「いい」と判断していましたから。


だから、その頃の私は
叩けば、ホコリもたくさん出るでしょう。
過去で誇れるものなどあったのか…と
思えるくらいですね。
でも、今は、それも「自分」と
受け入れることができます。
「本多馨子」の一部ですから。


そいえば、先日主人にも言われました。
「おまえ、アツい!
     …見ているだけで」?!
(暑苦しい体型?!)


どうしたら熱く生きれるか!!
人生!熱く生きたい!!


キンキン冷えた部屋で心を燃やしている。