重ねたもの(2)

この「重ねて来たもの」の考え方を
真摯に受け止めるならば
自分の思いが変わるばかりでなく
ものの捉え方が変わる気がする。


例えば、どうも気が合わない人がいたら、
「相性が合わない」
「性格が合わない」と捉えてしまうと、
もうその人との関係は断ち切られてしまう。
でも、今まで重ねきたことが違っても、
新たに同じ方向に日々重ねて行くなら
いつかお互いに歩み寄れるかもしれない可能性がある。
自分が「真っすぐな道」を求めて行くなら
「類は友を呼ぶ」で
「真っすぐな道」を求めている方々と
必ず、繋がっていける筈。
まぁ、私自身、クズのようなプライドを
必死になって重ねていたころもある訳で…。
今まで
「相性が合わない」と言って裁いてきたのかもしれない。
  

この考え方は、相手を責めることも、
自分さえも責めることがないから、いいかも。


「重ねる」
特に悪いことは重ねて行くことによって
循環させてしまうことによって抜け出れなくなる。
何度も狂言のような言葉を口にしていると
結局その言葉通りのことを行ってしまうだろう。
「何度も自殺を試み、とうとう…」というニュースを聞いて
どうにか防げなかったのか、と胸を痛めるが
周りは「本当にするとは…」と重ねることによって
「おおかみ少年」のようになり
本人は自分の重ねた思いに追いつめられていったのだろう。


そうそう、ニュアンスが少し違うが、
教習所で「ハッとしたことが度重なって大事故を起こす」
と言うのも頷ける。


100kg減量した人を見ると尊敬してしまう。
いや、10kgでもエライ!!
「食べる」ことへの執着心を抑え、
「食べていた」循環を断ち切るのだから。


太いベルトしても
「相撲とるのか」と言われないくらいに
せめてならないと…。