重ねたもの

鍋の美味しい季節になりました。
重ねて美味しいのは「白菜と豚バラのコンソメ煮」。
上に卵でとじたり、
2日めは、トマトジュースとニンニク入れて
とろけるチーズなんかを入れてもいいかも。


「重ねる」
上に卵でもチーズでも見えなくしても
中は、「白菜と豚バラ」しか入れてないのだから
いきなり「牛肉」が顔を出すこともない。


私は「神様から頂いた声」と言っても
いきなり、腹式呼吸や胸に響かせる発声が
できるようになった訳ではない。
「天才」ではないので、指が勝手に動くこともない。
幼い時から、ピアノを始め、
歌も中学から本格的に学び、
音楽学校を出てからも、オペラ的な発声を学んだり
一方、ある時期はビブラートを入れないPOPSを研究した。
「神様から頂いた声」…それは
ただ、そういう勉強をしなければならないから
追い込まれてした…自分が望んでしたのではなかった。
今、思うとそのタイミングが1年2年ズレていたら
混ぜ混ぜで、汚い色になっていたと。


この話しは、よく聞かれるのでお答えしたのであって
私の話したいのは「これから」なのです。


聖霊に満たされ続けなさい」
「罪を犯し続けるな」
良いことは続けにくく、
悪いことは「慣れやすい」ことを
神様はよくご存知なのだ。


こういう経験はないですか?
「友」と思っていたが全く考え方も
思いも遠く理解できないところに行ってしまった。
あんなに「相性」が合わないと思っていたのに
「結構話して楽しい」。
重ねてきたもの、来たことが原因のようだと思いませんか。


最近思うことは
「重ねて来たこと」がその人を創りあげて行く。
非常な悪人も、相当な善人もいないってことです。
考えてみたら、「オギャー」と言っていた頃は
みんなオムツして、大して差はなかったような…。
そもそも初めから、
「善人」「悪人」を創るような神様ではないし。


私は、「ユダ」をどうして神が創ったか、
疑問がありました。
ユダ…そうイエス様を裏切って
十字架につける為に、お金で誘惑された、あのユダ。
「生まれなかった方がよかった」まで言われ、なぜ?


よくわかりませんが、ただ聖書に
「ユダ」自身が「会計係」のお金をごまかし続けていたことが
記載されています。
「十字架」にかける陰謀にのったのは
簡単に「お金」に誘惑されたのではなく、
ようは「いきなり」ではなく
「積み重ねていた」下準備?!があった訳です。


「重ねたもの」「重ねたこと」によって
人は自分の人生を決定づけていくような気がします。
「重ねた」ものしか出てこない。
卵やチーズで覆い隠しても…。
「豚バラ」だったらわかりますけど、
「心」は見えないから厄介ですね。


良いことを重ねるなんて「至難の業」。
私たちは「罪びと」の子孫ですから。
今までの「足かせ」を取って自由になりたい。
「救ってほしい!!」
「救い主が来てほしい!!」
だから「クリスマス」。


もろびとこぞりて
昔「もゾリで転びて」と歌っていたが
「諸人、こぞりて迎えまつれ
久しく待ちにし
主は来ませり、主はきませり、主は、主は来ませり」
「世界中、諸々の民が迎えよう!
ずっと待っていた、主イエス様が来られる」
そうです!!
ヘンデルの「メサイヤ」…「メシヤ」救い主。


ところで、
これから何を重ねるかは、自分自身でございます。