当たり前の「幸せ」

親戚のものから電話があって
福島に住んでいる母方の親戚が全員無事であることを
きょう、教会の帰り道で知った。


胸をなで下ろしたが喜んでばかりはいられない。
なぜなら、多くの方が尊い命を失い、
また住む所を失っている中、奇跡的に助かったのだから。


「生死」の分かれ道は
悪い者が裁かれて命を失う訳でも
正しい者が生き残るでもない。
願いでも努力でも、その分かれ道を変えることができない。
自然の猛威を見て
人は神の前に膝まづく存在でしかないことを改めて知る。


そして「夢」…そうはるかな願いは
「当たり前の『幸せ』」の上にあるのだろう。
地震なのか、自分が揺れているのか船から降りた状態になり
いかに
「揺れのない生活」
「物が落ちてこない生活」がありがたいことか。


「当たり前」になってしまった幸せを
もう一度見直す時かもしれない。