福音「よきおとずれ」

以前、浜松の中学校で音楽を教えた時、
ほとんど、「校歌」を歌わない生徒たち。


「音痴だから歌わない。」
「笑われるから歌わない。」


「音痴」ってどこからどこまで音痴なのか、
誰が決めるのか…って話し。
私が音楽を担当して1年後、卒業式に生徒たちが
校歌を大きな声で斉唱した時、本当に感動した。


「声」とか「歌い方」とか
その人自身が映し出されてしまうもの。
「声が出ない」と思うと実際出ないし、
かと言って、感情がのめりこんで「自分の声」を聴かないと
音が外れていることすら気付かない。
「音痴」って強いて定義するなら、
「自分の声を聴かないこと」のような気がする。



あと「ヴォーカル」を教えるようになって、わかったことは
比べたり、真似したり、背伸びしたりしないで
自分の「声」は世界に一つしかないんだから、
自分の声を等身大に出せれば、
感動を与えることもできるんではないか…とも思う。


ちなみにゴスペルのクワイヤーと呼ばれるコーラスは
普通のコーラスと違い、「声の質」を揃えない。
「あなたの声でいいよ!」
そんな一人一人「個性」をそのまま生かす。
「自分に与えられている世界一の声」を
精一杯出して歌おう!!というのがゴスペル。
少しぐらい「音がズレてもいいじゃないか!」


ゴスペルの「福音」意味は「よきおとずれ」
讃美歌の詩に「よき音ずれ」って書いてあった時、
すごく驚いた。


そういえば、「もろびとこぞりて」って
「もゾリで転びて」って子供のころ歌ってました。