命と死

「まさか」の死を思う時、
「死」の儚さを感じる時、
ある日の友人の言葉が思い出される。
「父が病で倒れた時、誰もが、もう先はないと思った。
親戚が集まって、寝ている父の横で
『葬式』の話しまでしていた。
でもね、
亡くなったのは、父よりその親戚の人たちだった。」


「死」は他人事でなく、必ず自分に来ることを
身近な人の「死」で改めて知る。
そして、その日はわからない。
「成功した」「思い通りになった」といっても
どんなに栄華に富んだ生き方をしても
一瞬にして消えてしまう。


どんな生きかたをしても、
最期が「こんなはずじゃなかった」とか
後悔ばかりの生き方だけはしたくない。
だから、今の生き方でいいのか自問してみる。
生きている間しか、やり直せないから。


実はきょう、お世話になった方の訃報が
奥様のハガキで届けられた。
17年前に浜松で知り合いになり、
3年前に一度お会いし、
「浜松で大きなコンサート開いてね。必ずいくよ。」と約束し、
その時ミニライヴで一緒に写真を撮ったのが最後だった。


約束が果たせず、申し訳ない気持ちと
懐かしい思い出がよみがえった。


またきょう、車の中のテレビで「小林投手」の訃報を知った。
私は、野球のことはわからないが、
運転していた主人が
「元エースで若い時すごかったからな」
実力もあり、イケメンじゃ、
女の子を虜にしてしまうのも無理はない。


「この地での働きは終えた」。
…そんな言葉で片付けられないほど
家族の心の痛みは大きいだろう。
心の痛手が、一日も早く回復されますように
お祈りします。