嵐の3ヶ月

静岡の浜松に住んでいた時、
学校に勤めて「教師」として
いろんな体験をさせていただいた。
不思議に昨日のことのように新鮮に覚えて
今も私の「宝」。
その中でも、特に印象に残っているできごとがある。


一度だけ「担任」を3ヶ月だけ持ったことがあった。
(免許はあったが、県の採用試験を受けてなかったので
「臨時」的な期間で採用になった。)


その中学校は服装の乱れもなく、
表面的には荒れて見えなかったが
音楽室に入ってみると
ベートーヴェンショパンのポスターの顔の目や鼻に
無残にも画鋲が突き刺さっていた。
音楽の授業がない時、
いちいち音楽室の鍵やピアノの鍵を閉める理由がわかった。
20台くらいあるオルガンのすべての鍵盤がなく
1台づつ開けて、「空っぽ」で驚いている私の表情に
生徒たちは、声をあげて笑った。
そう、辛うじてピアノだけは守られていた。


暗幕を引こうと思いきや、スダレ状態。
机や壁のいたるところに落書き。
さっそく、私も、「帰れ!本多」と彫られ、
「宣戦布告」!!!!
嵐のような3ヶ月が始まった。


担任が事情で登校できなくなり、
生徒たちは中学1年生のあどけなさの中に
「不信」の表情を隠しきれず
毎日、私を試す、できごとを起こした。


まず、給食当番が準備し、私が手を洗いに行き戻ってくると
決まって私の給食の一部がなくなっていた。
「ヨーグルト」「プリン」…。
「誰が盗ったの?!あげるから、
『欲しい』って言ってから持って行きなさい!」
でも、来る日も来る日もなくならない日がなかった。


私は、主人に「どう思う!?」と怒りを露わにして聞いた。
すると意外な答えが戻ってきた。
「中学一年生なんて本能で動いているだけだ。
お前を苦しめようとか、いたずらとかより
ただ食べたいから…じゃないの?」
そして主人の驚くべき言葉に耳を疑った。


「俺も、中学1の時、好きな女の子の弁当食べたことある。」
「えっ!?」


この続きは明日!!