言葉

以前、ある牧師のメッセージで聞いた。
「皆さん!よく心にもないことが
出てしまったって言いますが、違いますよ!
心にあることが溢れて、言葉になって出るんです!!」


「言葉は神であった」と聖書にあるように
「光よあれ!」と「言葉」で神がすべてを
創造されたことを考えるなら、
言葉の重さは、計り知れない。


そして、恐ろしいことに言葉は見えないばかりか、
「種」として蒔かれて、それをいつの日か
刈り取る時が来てしまう。

こんな話しを聞いた。
ある人が「悪い言葉」を使ってしまった時、
柱に釘を1本打ちつけ、
「良い言葉」を使ってそれを抜く…。
最後に全部抜いた時、
「やった。全部抜けた〜!」


でも、その時の穴を塞ぐことはできなかった。


一人殺して、他の人を千人救っても、
殺した罪を拭うことはできないのと一緒だ。


「ひまわり」の種を蒔いて「薔薇」を
刈りとれないって小学生でもわかるのに
「いばら」を蒔いちゃう…。


わかっちゃいるけど…。
「罪びとだから」「神じゃないんだから」
それで妥協しないで、
きょうも心新たにして
良い種を蒔きたいです!!
きょうもいい日になりますように!!