適在・・・適所

「個性」を出すことを
要求されない職業がある。


以前「六本木」のお店で
「演奏者募集」ということで顔を出しに行った。
「人が来る前に」と言われたが
デモ演奏しているとお客さんがちょうど来られ、
「いいね!」と拍手された。
マスターは「じゃ、後で話しをしよう」と言い、
私は、専属の演奏者が演奏するのを
心待ちにし、席に着いた。


お客さんがチラホラ入るころ、
さっぱりとしたスレンダーな女性が
楽器の前に座った。


彼女かな…。


慣れた手つきでCDから「生演奏」に移り変わった。
…あまりにも自然で、
どこからCDでどこから「生演奏」かわからないくらいで。
でも、お客さんの話し声は止まらず
彼女に拍手どころか、目を配ることもなかった。


私は思わず、マスターに言った。
「もったいないですね。誰も気づかないなんて」
「うん。だから君のようなのどうかなって。」
マスターが彼女に私を紹介した。
私が「もったいない」と言うと
彼女は明るく笑って言った。
「これが私の『性』にあっているのよ」


その帰り、案の定間に合わず、ホテルに泊まった。
後で断るためマスターに電話すると
「仮眠室もあるよ」と言ってくださった。
でも、結局のところ、夜遅いリスクもあるが
私のスタイルは「歌いあげる歌い方」なので
難しいんじゃないか…と身を引いた。


手話通訳とか、音訳とか
「個性」「感情」が邪魔になる職業がある。
「ファンをつける必要がない」
目的は、「正確に伝えること」であるから。


私が教会で奏楽する時、
人数も10人足らずなので
目立たないように、みんなが歌い易いように弾く。
一番だけは、初見でも弾き語るが
それでも、みんなが音がとれない時、
メロディラインを単音で弾くこともある。
(以前は、たくさんいる教会で奏楽していたので
何にも考えず、自由にアレンジできたが…。)


自分が「どうしたいか」というより
その場所で、「どう在るべきか」…
これが必要とされている人の
与えられている使命かもしれない。