つまづき(2)

彼…Aさんはとても優秀だった。
本当は公立の一番いい学校(K高校)に入りたかった。
でも、安全圏内ではなかったので
1ランク落とした学校を担任として勧め、その学校に入った。


でも彼は、ことある毎に「2番」という負い目を
拭いきることができなかった。


校長先生が一番「申し訳ない」という気持ちが溢れたのは
彼のある一言だった。
「僕は落ちてもよかった。
どうしてもK高校を受けたかった。
他の高校なんて行きたくなかった。」
30年以上の重荷をすべてぶつけ、
彼はその言葉を吐くようにしてその場を去った。
その後、彼に会っていないそうだ。


彼にとってK高校がすべてだったのかもしれません。
確かに、高校の制服で「レベル」がわかってしまうくらい
その地域では、上下がハッキリしていたので。
ある生徒の詩で、今でも覚えているが
「雨の日が好き」というのがあった。
ようは、レインコートで制服が隠れるから。


まぁ、1,2だからこそ、
彼の悔しさが倍増したのかもしれない。


私なんぞ、当時お金のかからない「都立」以外行かせられない
…ということで
学校もそれなりの「落ちるはずのない」ところになった。
それも「都立」が「群制度」導入のころで
3つの学校があって、生徒が選べなかった。
その中のまったく希望していない高校に振り分けられ、
なんと、次の年、「群制度」が廃止された。
ものの見事に、(他の2校はまだいいが)
私の卒業した学校は悲惨な状態になった。
「滑り止め」だった私立の高校が今やレベルが上がり、
そういう面では決して「いい選択」をしたとは思えない。


特に、志望高校を決める時、
その時、新しく設立する高校があった。
その学長の説明会があり、担任に勧められ、行った母は
「すごく勧められたし、伸びる学校だと思う。」
その時私は、書道、リコーダー(笛)、
読書感想文、合唱コンクールの伴奏など
頭を使わないものだったが、いつも表彰されていた。
「そういう生徒が欲しい」と言われたらしい。
でも、父が「伝統がない学校はだめ」の一言。
(その学校はちなみに今もトップクラスの高校です。)


「いい選択」ではなかったけど後悔はない。
いい友だちに出会えたし、今の自分があるのは、
そのおかげだから。
まぁ多少「伸び伸び」し過ぎて、戻らないくらい自由奔放ですが。


優秀すぎると、むしろ選択の幅が狭いのかも。
でも視野まで狭くしたら、勿体ない。
だって「思い」という見えないものに
人生をコントロールされてしまうから。