応援

以前、夕飯時のテレビで
「応援」についての実験をやっていた。


興味深いのは
まぁ、日本人は日本人を応援するだろうけど、
プロレスラーで、同じ条件の場合
どちらを応援するか…。
なんと「負けている」方に加勢する。
優勢になるのを見ると、
応援する相手をさっさと変えてしまう。
それも実験参加者、全員。


で、片方に「悲惨な生い立ち」のプロフィールを
もう片方に「煌びやかな経歴」を初めに見せておくと
なんと全員、「悲惨な生い立ち」の方を応援し
負けそうになると大声で応援し、最後まで翻らない。
それどころか、「負ける」と自分のことのように
悔しいらしく、涙を流す者も出てくる。


ともだちから以前聞いたことがある。
「神様は弱い者を助けたい」というDNAを
組み込んである…というのである。


確かに、「母性愛」「父性愛」がなければ
きっと人は絶えてしまうだろう。
だって、無償の愛がなければ、
とても育てられないだろうから。


あと、「がんばれ」という応援はあまり効果がないようだ。
頑張っている人に「がんばれ」と言うんだから
確かに「これ以上何を!?」と思ってしまうかも。


私は「がんばって」とか「期待してる」とか
言われても、嬉しいな。
頑張ってないから?!
…そうじゃなくて、応援してくれることが嬉しいから。


一人で意気がって見られることも多く、
「強そう」みたいな…いえいえ、イエス様なしでは生きれません。
「煌びやかな生き方」もしてないのに
そう想像させてしまうらしい。


でも、話すと「見た目と全く違う」
「こんなに笑ったことがない」と言われ
「腹が痛い」とか「顔が痛い」とか。
その笑える話が、私の‘普通’の生活の話しです。。。