蒔いた種は?

ひと所、「マナー」の悪さが目立ちましたが
最近、若い人でもキチンとされているので驚いてしまう。


今時、電車で化粧したり、携帯してたり
ドア付近に座っていたり…そんな人は見かけなくなった。
昔、酔ってグデングデンのおっちゃんとか
電車の中、お酒プンプンの赤ら顔の人も
駅でたばこ吸っている人も
ゴミぽいする人もいなくなった。


きょう、アクアラインのバスの中で
若い兄ちゃん2人が、私が後ろに座ると
すぐに倒していた座席を戻してくれた。
まさか、私が狭くて苦しいと思われた訳ではないと思う。


そう、何がカッコよくて、何がカッコ悪いの判断が
変わったこともそうだと思いますが、
蒔いた種しか刈り取ることしかできない…ということが
いろいろな事件や報道を通して知るのかしら…。


実は、きょうは都内に用事があり、
東京にある教会で礼拝を守りました。
「インターネットで駅から1分」とありましたが、
何か導きを感じ、その教会に決めました。


「私の足りないところをメッセージで教えてください。」
その答えを礼拝のメッセージで頂きました。
「イエスキリストに自分自身を捧げなさい」という熱いご説教でした。
「神に人生を捧げることが最高の生き方になる。」


確かに「イエス様に人生捧げた人」で
不幸になったとか、貧乏になったとか聞いたことがない。
ヘレンケラーや、マザーテレサ…。
自分の欲を全うしてない。
そう思うと、
私は「まだまだ捧げ方が足りない」と自ら反省できますし、
目標になります。


考えてみたら、
「ちっぽけな脳みそ」の自分の考えに従うより、
全治全能の神に従う方がいいに決まっている。
なのに、なぜ自分の欲に翻弄されてしまうのだろう。


どんなに過程が悪くても「最期」に
「最高の人生だった」と言えるなら「結果オーライ」ですよね。
人生の途中はどっちになるか、まだわからない。
スリルありますね。


蒔いた種が咲く時が必ず来る。
いったい何の種を蒔いたのでしょう。
咲いた花が物語る。