「フツウ」

「フツウ」という言葉が
いろいろ「様変わり」しているとテレビでやっておりましたね。


「フツウの女の子になりたい」そんなキャンディーズ
「フツウのおばさんに戻りたい」と言われた都はるみさんも
今思うと結局「フツウには戻れない」とわかった訳で。
ランちゃんがあの水谷豊さんと結婚をしていたという
情報を知らずにいた私は
「あんな大スターと結婚してフツウの暮らしはできるのかな」
と他人事(ひとごと)ながら思っていたら、
彼女自身も変わらずフツウに?!「女優」としてテレビで見ました。


さて最近「フツウに凄いよね!!」とか
「フツウにおいしい!!」とか
若い層の人たちが話しているのを聞くようになりました。
ある程度の世代はきっと思うでしょう。
「フツウ」なのか、「凄い」のかどっちなんだ?!
私に直に言われた時も「????」が飛びました。


よくよく聞いてみると
「フツウに」は「誰もが認める」「当然」「絶対的に」
という言葉の意味で使っているようです。


最近「フツウ」がわからないし、
自分にとって「フツウ」でも
人には「フツウ」に見えないことも多い。
特別な生き方を求めている訳ではないが、
「お金」「地位」「名誉」に流されない生き方をしたい。


聖書に面白いところがある。
「私をどうか貧しすぎないように。なぜなら
貧しくて盗むことがあるかもしれない。
反対に富ませ過ぎないように、神を忘れ、
『神はだれですか』と言わないために。」


「フツウにソコソコの生活」が幸せなんでしょうか。


…私はまさに「幸せ」です。