「欠点」

「言葉」って本当に難しい。
足りなかったり、一言多かったり
聖書で「舌を制御できる人は、すべてにおいて完全だ」とある。
完全な人はそうないだろうと思うけど、
それにしても、私にとって
「言葉」を吟味することが、課題だし、
音楽を磨くことより大切だと感じている。


いつも昔、浜松の牧師先生が
「落ち着きを与えてください」と
いつも私のことを祈ってくれた。
そのころは、まだ20代だったが、今になって
内緒話しができないほど大きな声で話したり、
嬉しいと表情だけでなく、態度まで浮かれてしまうので
「私の欠点をいつも祈ってくれたんだ」と感謝しています。
…しかし、未だ祈りは聞かれているのかどうか。


まぁ、そんな私に、表情がまさに言葉の一部である
「手話」に出会ったのは、導きなんだろう…と思うし、
表現しきれないことを顕わせる「音楽」という媒体に
出会ったこともありがたいこと。


「欠点」ていうのは、
「それが必要なんだ」という何かが隠されているかもしれない。


浜松の教会のおじいさんが言われた。
「私は『字がへた』と言われたことがきっかけで
習字を学び、教えられるまでなった」
それは、それは達筆で、今でも忘れられません。


「欠点」から何か生まれるかも…もう一度
「欠点」を見直してみるぞっ。
そ、それにしても「欠点」あり過ぎ!?