食欲

ちゃんとした「ラーメン屋」の「のれん」をかけて
「冷凍麺」を出されると「裏切られた」気がする。
決して「冷凍麺」が悪い訳ではないが
やっぱり「生」で勝負してくれないと、
「本物のラーメン屋」としては認められない。


そう、「食べ物」のことになると人一倍、熱くなれる。
若かったころは、もっと凄かった。


子供のころ、「次の日のカレー」が楽しみだった。
次の日は「休みの日」だった。
少し寝坊し、カレーの蓋を開けると「カラ」だった。
「それでも絶対食べる!!」
…夢にまで見たカレー、食べない訳にはいかない!!
私はジャガイモを剥いて、玉ねぎ、人参を入れて
水にカレー粉を溶いた。
たぶん小学1,2年のころ、
それがきっと生まれて初めての「料理」だったと思う。
ジャガイモも玉ねぎも人参も固くて食べられず
シャビシャビのカレー。悔し涙のカレーの味だった。


いかに「食べることの執着心」が人にはあるか。
「人」と言っても、驚くなかれ(驚いているのは私だけ?)
私の弟のように執着心があまりない人もいる。
「食べる」ことが「カプセル」でも構わないらしい。
…し、信じられない。


両親は「あんたの食欲は誰にも負けない」
「その食欲が他のことに向いたら凄い!」…と誰もが認める。
褒められているのか、けなされているのか。
でも、
私の「食べること」の熱心さ、執着心は
やっと最近なくなった…いえ、普通に近づいた
…いえ、近づきつつある。


ところで「聖書」って本当に驚きますが
実は、「食べ物に注意すること」も書かれているのです。
・何を食べようか悩むな
・主の栄光の為に食べなさい
・主の体をわきまえないで飲み食いするならば
 その報いをうける
極めつけは、
「一杯のスープ」で長子の権利を失う「エサウ」がいる。
「旧約」の話しだが、その後の「新約」で
エサウ」のようにならないように警告している。


なのに…。わかっちゃいるけど、やめられない。
でも、この「弱さ」を思う時、
「禁煙」に何度も失敗している人を責められない。
「酒依存症」に苦しんでいる方、気持ちわかります。


そうそう、私、アルコールは「飲めない」というか
「飲みたい」と思わないのですが、
これは「上(神)からの力でそうさせられている」と
いろいろな人から、よく言われます。
確かに…もし、飲めてしまったら
のめり込んでしまうこと間違いないから。


一時期、食べれない時期があったのにもかかわらず
もうすでに一生分食べたと言われる「ラーメン」。
「ラーメン依存症」なんてあるのでしょうか。