コツコツ

このブログもたくさんの方、毎日70〜100人の方に
読んでいただいて感謝です。
お☆をつけていただいたり、コメントいただいたり
励まされております。
でも、毎日続けることは「努力」とか感じてません。
ですので「書きたい」と思っている間は書き続けます。


「努力」は正直、苦手です。
ですから「努力してます!」的なものではなく
気が付いていたら、「努力していた」的な。


まさに子供がいい例で、
4,5回のレッスンで音符や休符の名前、拍数
楽譜の読み方の一部、リズム打ち、
みんなの前で恥ずかしがらずに歌う…
これらのことが簡単にできるようになる。
「勉強」とか「努力」とか感じさせないで
宿題もなく、あくまで「遊び」の一環とするという条件がある。
なぜなら、「勉強」となると不思議に飲み込みが悪くなる。


嫌なことはブレーキがかかった車のようなものですね。
アクセルどんなに努力して踏んでも前には出ません。


私は小さい時から習い事に振り回されていました。
弟のように「優秀」ではなかったので
「これじゃ、将来大変だろう」ってことで
何か芽は出ないか…と習い事をさせたのでしょう。
おかげで、習字は中学で2段、そろばん4級…イマイチ。
でも、音楽面だけは、続きました。
正直、イヤイヤ行っていた感はあります。
だから、ある意味、学校を出て
教会で演奏したり、講師演奏をするようになって
「音楽」が変わりました。


学生時代「練習せざる状況」の中、
努力してた割には身になっていない。


「好きこそモノの上手なれ」とはよく言ったものです。
でも、どんなに好きでも、どんなに努力しても
人には越えることのできない「神の摂理」がある。


例えば、真央ちゃんの手足が短かったら…。
遼くんの育ちの環境が貧しかったら…。


でも、ありがたいことに聖書には
「あなたは高価で尊い
ひとり、ひとり意味を持って創られたなら
人にはない「輝き」を持っているはず。
「努力」の前にそれを探すこと
いえ、神様から教えてもらうことが近道かなと最近思うのです。


マザー・テレサのように
「これは私の天職です」そんな生き方をしたいと…。