人は称賛によって試される

22日のパーティが成功し、称賛を受けたのに
あまりにも消極的なブログを描いたので
ご心配おかけした方もおられるようなので…。


まず、気がおかしくなった訳でも
誰かに何か言われたのでもなく…。


少しお話させてください。


私は親から、あまり褒められた経験がなかった。
褒められると言えば
「食べるのが早いね」
「たくさん、よく食べられるね」
そうそう、
「美味しそうに食べるね」
…全部食べ物じゃん。(ツッコミ)
だから、大人になって、たまに褒められると
舞い上がってしまい、
「豚もおだてりゃ木にも登る」ようなこともあり…で
精神的に優越感と劣等感を行ったり来たり
していた時期があった。
人の言葉にみごとに振り回されていたかな。


神様を信じるようになって
サンザン祈ったのにもかかわらず
成功すれば自分の力、
上手くいかないと
「神様、どうしたんですか」。
今思うと恐れ多いが。


しかし、聖書から「人は称賛によって試される」という
言葉を知り、幾度となく
木のてっぺんから突き落とされ
痛い思いをするうちに
自分の思いを制するようになった。
…しかし、根が素直なので
褒められると「ニンマリ」して
本当の意味で制することができなかった。


でも、最近は不思議に成功すれば成功するほど
称賛されれば称賛されるほど
私がどんなに小さい者か、
どんなに弱い存在か思い出させる。
神様の憐れみですね、きっと。


なぜなら、「高慢」は
もっとも神様が嫌われることですから!


「恥はわがもの、栄光は主のもの。」
…とまでは公言できませんが
(恥は正直かきたくないので)
昔ほど浮き沈みがなくなった。


どんなに称賛されても
万が一、どんなにけなされたとしても
神様の前に「私の価値」は変わらないのですから。