産みの苦しみ

最近、ますます子供が「かわいい」と思える。
腹を痛めた自分の子供がいないので
本当の「かわいさ」は永遠にわからないと思うが。


「子供」って…。
まさに子供は「授かりもの」。


まさに「信念」で子供を産むことはできない。
そのこと一つにしても
「信念」を持つことが
イコール叶うことではないとわかる。


「産みの苦しみ」がアダムの時代の
神様に逆らったバツとして「女」に与えられた。


子供は一心に親の愛情を受け育つ。
自分の子供だからこそ
喜びも倍に、たくさんの幸せを与える存在になる。
しかし、自分の子供だからこそ
ヤキモキしたり、苦しみを与える時もある。
子供がいれば、喜びも多いが苦しみも増える。


イエス・キリストが自分の身代わりとなって
十字架にかかった。
そのことは、きっと私以上に、
お子さんを持っておられる方だったら、
簡単に理解されると思う。
なぜなら、自分の子供が苦しんでいたら
「私が身代わりに」と思うのが親の愛、
いえ、「本当の愛」だと知っているから。


子供が神の摂理なしに産まれない訳だから
私に子ができなかったことも摂理と思う。


前に非情な便秘でトイレから
「産みの苦しみを味わった」と言って出てきたら
「一緒にしないでよ!」と友達に怒られた。
そして、
「それ以上よ、産みの苦しみは…想像できないくらい」
「なのに、たくさん産んでるなんて、
その産みの苦しみ以上に、子供の存在が大きいんだね。」


「もちろんそれもあるけど、不思議に『痛み』を
バカだから、忘れてしまうのよ!」


「産みの苦しみを忘れさせる」オマケまで…
サスガ神様はすごいなぁ!!