「うわさ」

「うわさ」を流す人の心境ははっきりと掴めないが、
「妬み」からだと推測する。


聖書の「十戒」に
「人の物を羨んではならない」とある。
それをしてなんの「徳」も得られないどころか、
まさに「妬み」はいずれは
「うわさ」で留まっていないだろう。
「殺す」ところまでエスカレートする可能性がある。
なんと言っても、
人類最初の「殺人事件」は兄弟の「妬み」からですからね。
(聖書にあります)


事実か、事実でないか、
それがどちらであっても、
すべて「良いうわさ」ではなく
「ダメージ」を与えるための「うわさ」なのだから
その「心」がイヤだね。
そういう人は永遠にかかわりたくない。


「有名になろうとしないのは、やましいことがあるからだ」
(*:注 「有名になろうとしてない」訳ではありません!!
「なぜテレビに出ない?」ってお呼びがかからないからです。。。)

 
強いてはその理由を「うわさ」する。
「うわさ」も●日とあるくらいだから放っておく。
最近は「うわさされるまでになったか」と思うし、
反対に
「神様はどんな逆転を考えておられるのだろうか」とも思う。
聖人君主じゃないから完璧じゃない。
…だから、「うわさ」すべてが間違っているとは
言えないかもしれない。


けど、どうしても許せない「うわさ」がある。
事実無根の上、
それが多くの人に「罪」を安易なものと
思わせてしまう「うわさ」である。


例えば、「盗みをしている」というもの。
私がクリスチャンで誰もが
「祝福されている」ことがわかっている。
そんな私が万が一「盗みをしている」なら
100%神様を否定していることになる。
「盗み」は100%「罪」であることを
子供だって知っている。
でも、「あんなに祝福されているんだから」と
「あの人がしているなら」
赤信号くらいならいいが、
「盗み」を「罪」と思わなくなるだろう。


私は、いずれ「盗んでない」という潔白が
必ず、証明されるだろう。
でも、惑わされた人は大きな「罪」を犯すことになる。


「うわさ」している人は
5,6年では出ないかもしれないが
10年後、いや、いずれ、
その心が体の一部となり、表情となり、
その人の一生になる。


だから、いつまでも若くいたいから、
「うわさ」しているイヤな表情に
固まりたくないから、
「うわさ」話しはしたくない。