今週のお題笑顔のもと(2)

以前の私だったら
きのうの話しで、悪いことをした罪は大きいから
「極刑」でも仕方がない。
いや、むしろ「死刑」という判決に
手を叩いて賛同しただろう。


それに「加害者」に焦点をあて
気の毒に思うことなど
今まで一度もない…たぶん。
それなのに、どういう訳か、
その少年の愚かさが
涙が出るくらい悲しい出来事に思える。


地震のことで
魂まで揺さぶられたのか…。
確かに
いろいろな問題が対比できないほど
ちっぽけなことに感じるようになったかもしれない。
教会メッセージで頂いたお言葉も、
また祈りによっても
深く、自分自身を省みるに至った。


そして
地震の前に、ひとつの出来事があったことが
少しづつ私の心を揺さぶっていたことも事実だ。
それが心の奥底を浮き彫りにした。


それは、ある場所で初めて会った方で
たまたま、そこにいて話しをした。
「誰からも好かれるタイプね」と言われて
「いえ、その分、敵も多いかもしれない」
そう、答えたからか
その60台のその女性は
「許さないと前に進めないよ。」と一言。


なんとなく、話しに引き込まれて
その方の「過去の話し」を延々4時間拝聴した。
もし、その話しにタイトルをつけるなら
「正直者はバカを見るのか?」…。


その講義?!のシメは
「私は、すべて許しました。正直者で騙されていたけど…」
私は「よく許せましたね」と言うと。
返ってきた言葉は…。
「正直者をバカにしたバツは必ずあると信じているから。
必ず、天罰があり、裁かれるはずだから!」


「それって許してないんじゃないですか?」
と言おうとして口を抑えた。
なぜなら、私自身、
卑怯な者や悪いことをした者は
大いに裁かれるべきだと
思うばかりか、願っていたから。


方向性が違ったり、価値観が違って
共に歩めないことはあって当然だろう。
でも、
卑怯なやり方で
悪意をもって傷つけられた人を
思い起こすとすらしたくなかった。
「許していない」ことになるのか…。
「裁かれて当然」「天罰がある」という思いは
間違いなく、私の心の奥にあった。
今はもう
その思いも消えた。


赤ちゃんの笑顔に
無垢な心が反映されていないだろうか。
本物の「笑顔」はやっぱり
魂…そう心からだと私は思う。