アンビリバボーな話し

書こうか、否か随分考えましたが
思い切って書くことにしました。
人の悲しみに神様は共に悲しんでおられる
…ということを伝えたかったので。


あれは十数年に遡る。


北海道のトンネル内のバス事故を覚えておられますか。
私は、その当時、霊的に偏っていた?!
というか、
「テレビ」を全く見ていませんでした。
そのことを知ったのは人伝えでしたし
状況は想像のみで、あまりよく理解していませんでした。


私は、毎週日曜日
千葉から東京の教会へ車で通っていました。
その週の日曜日、雪の影響で電車で迎いました。
その電車の中で…。


そんなに混んでいる訳でなく、座れました。
向かい側の男性が新聞を広げ、
トップ一面に大きな字が目に飛び込んできました。
「無念!!」
そして大きな写真。
連なった折り鶴を手に泣き崩れている姿が
写っていたのを今なおハッキリと覚えています。


私は何もわからないまま
熱いものが頬を伝わるのがわかりました。
そして、
なんと嗚咽がでるほどの大粒の涙が溢れたのです。
恥ずかしくて新聞から目をそらすと何事でもない。
「あれっ」と思いまた目を新聞に移すと
また止めどない涙が…。
2,3回繰り返し、声が聞こえた。


「私も悲しい」。


これは神様の声だと今も思っています。
それは
人の悲しみに「怒り」を持って裁いている神ではない。
共に涙を流しておられる。
なぜ、その苦しみを悲しみを
完全なる神が許されるのか…。


…神のひとり子、
神の御姿であるというべきイエス・キリスト
十字架という極刑で
なんと私たちの罪の身代わりになったという。
そのことすら、驚くべき事実。


ちっぽけな私のような脳みそでは理解しがたい。
ただただ
「神の愛」はハンパでないし、
深すぎて人は理解できないと思う。