今週のお題「心に残った本」

今週のお題「心に残った本」


私は幼いころから本を読むのが好きだった。
小学校の低学年でルパン、ホームズなど推理小説を読破し、
いろいろな本を寝転びながら読むのが日課だった。


その中でも人生を通して、
「心に残った本」はたくさんあっても、
人生そのものを変えてしまうような
そして今も20数年読み続けている本は…
やはり「聖書」以外にはないですね。


なぜなら、生き方そのものの
「人生の道しるべ」というべき本であり
「世界のベストセラー」という言葉で要約されてきた通り
これほど多くの言葉に翻訳され、
これほど長い時代言われ続け、
これほど多くの人が手にして読んだ書物はないと
断言できるのは他にないですから。


「神様からのラブレター」とも言われていますが
人を創りっぱなしでなく、
立派な「取り扱い説明書」を書いてくださった。


よく「『こうしちゃいけない』とか、かた苦しい」
と言われる方がおられるが
よ〜く考えてみると
紛れもなく「私たち人間のため」
そう、「自分自身」のために書かれていることに
「ダメだよ」と書かれてあることに気づくのです。
(「殺すな」「人を羨んではいけない」「復讐はするな」とか)
そして、行き詰まった時は、参考書となる。
「答え」や「答えに到達するヒント」も隠されているので。


だから、どれだけ聖書を通して慰められ、
勇気をもらい、前進できたでしょうか。


ひとつの体験を書いてみます。


学生時代、私にとって父は
ただ「怖い」存在でしかなかった。
普段はいたって真面目だが
ひとたび酒が入ると変わってしまう。
そんな父に私は近づくこともなかった。


教会に行き始めた時、
「私たちは罪のカシラです」
(ちなみに聖書には
「義人はいない。ひとりもいない」とある。)
そんなメッセージに
「一緒にしないで」と思っていたが
「許さないこと、憎むことは罪です」
その言葉が心に響き、
「許さないと天の父(神)からも許されない」と聖書にあった。


真っ先に父の顔が浮かんだ。


「父を受け入れることができるなら
私は『罪びと』ではないはずだ」
そんな勝手な気持ちで、父に「良い言葉」を持って
思いきって
「おとうさん」と近づいた。
のど元まで「良い言葉」を用意しても
思春期の血の気の多い私には
売り言葉に買い言葉で
どうしても喧嘩口になってしまう。


結局、
私は自分が「罪びと」であることが
よく理解できたのである。


そうなると
たとえ「真理」であっても
エス様を信じる意味があるだろうか。
信じる前も信じた後も
「愛がない」なら信じる必要はないのでは…。
そんなある日、
ひとつの聖書の御言葉が
目に飛び込んできたのでした。


つづく…。