今週のお題「心に残った本」2

今週のお題「心に残った本」2


その聖書の言葉は
「義に飢え渇く者は幸い」


「義なる者」と書いてはなかった。
思い返してみると
父に対して、教会に行く前は
一度も良い言葉を探し、自ら近づくことさえなかった。
「許したい」「愛したい」という思いも行動もなかった。
いや、一瞬たりとも、全くそのような考えは浮かばなかった。


父の私に対する厳しさも含めて
それが父なりの「愛」の表現だとしても
私は受け入れられなかった。


エス様を信じて変わった…確かに。
義なる者ではないが義に飢え渇いてる。


「義に飢え渇いている者が幸い」


でも、まだまだスッキリしないままだった。
私は結婚し、浜松へ。
そんなある日
父から電話があった。
「元気でやっているのか」
私は
「今度、浜松に遊びにおいでよ」と言いながら
自分の言葉を疑った。
不思議に「苦々しい」思いが全くなくなっていた。


そして私は産休補助から正規の教師になる
チャンスも広がっていたのに
採用試験も受けることなく
3年も続かなかった「教師」生活にピリオドを打った。
その時ほど、「自分が嫌い」と思ったことがなかった。
あまりにの「ひ弱さ」に嫌気がさすほどだった。


私はその時思った。


国鉄に30数年間勤めあげた父。


「どんな思いでお酒を呑んでいたんだろう。」


そう、心から思えた時、
私は父に対しての思いは180度変えられた。
なんと、「苦々しい」思いから
心から「尊敬」できるところまで
私の心を創り変えてくださったのだ。


私は「癒し」も「奇跡」も多く経験している。
けれど、この父のこと
そして、あの厳格な父がイエスキリストを受け入れ
凱旋していったことは(5年前)
何よりも優っていると私の中では言えるのです。