今週のお題「私の小さなこだわり」

今週のお題「私の小さなこだわり」

「本多馨子」というブランドにこだわることかな。
例えば
ゴスペルシンガー」と言っても
それぞれ「ウリ」が違う。
何度も言うようですが「ゴスペルシンガー」ではなく
「ゴスペルピアノ弾き語り」として、
また、様々な(レインボー)声を出すことが「ウリ」であるから
そこにこだわる。


人は世界に一つしかないブランド。


比べる必要もないし、カブルこともない。


世界に一つだけの花」の歌詞通り!!
「ナンバー1にならなくてもいいもともと特別なオンリー1」。


先日、
「神様に不公平だから文句言っといてほしいわ」と言われました。
その方の話しだと
「食べるのを切り詰めて、我慢して
やっと標準の体重をキープできるのに
いくら食べても太らない人がいる」


…それは、すぐ太ってしまう私には正直、わかります。
でも、そんなことを神様に申し上げる気持ちはありません。


だいたい「比べる」ことにそもそも問題が…。


神様が完璧で完全ならすべて公平に
人を創っておられる筈です。
私は、最近つくづく、こう思うのです。
ようは、人が見て「欠けている」「足りない」と見えても、
そこを含めてサイコーに創ってあるのでは…と。


目が不自由な方に
エス様が「この人が見えないのは、この人の罪でも、
先祖の罪でもなく神の栄光が現れるため」と言われました。


ある耳の不自由な方が言われました。
「耳の聞こえないことは、確かに『不自由』かもしれない。
でも、決して『不幸』ではない」


確かに、五体満足でも自分の命を絶たれる方が
残念ながら多いのは、
「不自由」イコール「不幸」でないことを悟ります。


ですから、もう一度言います。
人が見て「欠けている」「足りない」と見えても、
そこを含めてサイコーに創ってあるのでは…ということです。


「人を羨んではいけない」それは聖書の教えですが
「うらやむ」それは「比べる」ことをしたから。
「比べる」生き方は
本物の生き方はできないと思います。
「たんぽぽ」が「バラ」らしくするようなものです。


「自分らしくこだわる」


私はなぜ「バラ」のようでなく
「たんぽぽ」のようなのかわかりませんが
精一杯、「たんぽぽ」の花を咲かせたいと思うのです。
そうすれば
きっと誰の目にも留まるでしょう。