今週のお題「大人になったと感じたとき」

今週のお題「大人になったと感じたとき」
そうですね、
一人でラーメン屋さんに入れるようになった時でしょうか。
立派なオバサン…?!


学生時代、トイレに友達連れて休み時間行ったり、
学校の帰りは必ず一人ではなく友達と一緒だった。
「ヒトと同じ」だと安心だった頃は、
人に流され易かったかもしれない。
同じ香りのついた消しゴムを持ち…。
ただ、ソックタッチが流行った時、
ひとり、ルーズソックス…流行の先端!?


今は、もちろん他人の意見も聞くが
最終的には「納得」して進める…ひとりでも。


人は言う。


大人は我慢ができるが、
子供は我慢できない…そうかなぁ。


私はこう思う。
子供は環境を自分で変えることはできないが
大人になれば、ドロドロしている所にいる必要もない。
我慢して留まっていることが、「大人」だと思えない。
自分の気持ちが留まることで荒んでいくなら、
なんの意味があるのだろう。
そう、
「人間関係」では、
ずーっと会ってなくて、ご無沙汰していても
話して心が「通い合う」と感じることができるなら
それはそれでいいと思える。
あるいは、ずーっと一緒にいても
価値観、考え方が自分とは異なってきて、
互いに歩み寄れないなら
歩む方向が違うのだから、別に進めばいいと思う。
近視眼的にその人間関係に捉われているなら
「遊ぶ友達」が決まっている「子供」と
大差ないと、私は思うのですが。


新しい出会いもいい。


「今」が大切だと思うようになった。


自分はもう恵みを受けているのだから
今度は犠牲として仕えるのだ…という考えは私にはない。
でも、そういう考えの方を否定する訳ではないので
後で、その払った「犠牲」に
その分の「見返り」が期待に添えなくても
「後悔」がないならそれでいいと思う。


「自分中心」なのか…。
「子供」は確かに自分のことだけ。
「大人」になると
自分だけを喜ばせるのでは満足できなくなると思う。


自分の生かされている意味を考えるようになり、
他者の喜びが自分の喜びになる。
迷惑をかけたり、
自分のことで、周りを掻き回したくないとも思う。
でも、それが決して「犠牲」という言葉で表せない。


自分がそれをどう思うか。
他人のセイにできなくなって
「自己責任」そう思えるようになったこと
これが、「大人」になった時かな。


レジ袋、ナメないと開けなくなったこと…
これは「大人」ではなく
「オバサン」になったことでしょうから。
「オバサン」になっていくことばかり
考えていても始まらない…というか
すでに「オバサン」でした。。。