「存在」の意味

私はいつも
「自分が必要とされているか否か」と考えることがない。
いや、考えないようにしているのかもしれない。
もし、「必要とされている」と思うなら
居心地の良さに
違う場所での働きは限られてくる。
「必要とされてない」と思うなら、あまりにも淋しい。
では、「必要とされる」ように
努力しなければならないのか。


楽家演奏家、アーティスト、
ミュージシャンなどの宿命は
老化による体力、技量の衰え…そして
「世代交代」という人の力では
どうすることもできない壁がある。


それは「必要とされなくなる時が必ず来る」
ということを意味する。
そんなことを考えたら
与えられているものが
大きいほど悲惨な思いをする訳で…。


この世で、この会社で、自分の家族で、
万が一、必要とされないとしても
究極的に
「神が自分を必要としている」
この部分が揺るがない限り
人の思いに振り回されることがないだろうと思う。


エス様に目を向けることで
多くのイヤな部分を見なくてすむことがある。
自分を追い込む生き方は
シワも増えるし、美容にもよくない。
「人生、勿体ない」。


「生かされている」そのことを思う時、
「生きる価値がある」
「神がこの世でまだ私を必要としている」と思う。
この世での働きを終えたら天国に…。


人は焦らなくても、気張らなくても、
いや、誇っても、
必ず「死」を迎える。
「自分の最期」を思う時、
どういう生き方がいいのか
後悔のない選択が決まる気がする。