「選択は未来の道を作る」

先日、テレビで海外でのトラブルを取り上げていた。
タイでこんな話しもあった。


青年が道を歩いていると
「うちの娘が今度日本に行くが大丈夫だと、話してくれないか」
もちろんだ…と喜んでその人の家に行く。
娘はおらず、その間「トランプをしよう」と持ちかけられ、
しまいには「イカサマ」の方法まで学び
「一緒に金持ちの友達からイカサマで一儲けしよう」
の言葉にのってしまい、挙句の果てに多額のお金を…。


「人を騙すなんて…」と断っていたら
「お金をかけるのはよそう」と遊びだけだったら
…いろいろの選択の中で、残念ながら
この青年は、最悪のものを選んでしまった。


目の見えない人で、ピアノを弾く人は少なくない。
ピアニスト辻井伸行さんのような方もおられる。
「障害」ばかりに目をとられ、悲観してしまうと
違う「選択」になり、人生も変わる。
「人は障害を持つと反対に、研ぎ澄まされる器官が与えられる」


「選択」の後悔しているとキリがない。
「結婚した相手を間違った」まで遡り、
終いには、
「自分が生まれてきたこと」にまで発展してしまう。


以前テレビであった。
同じ学校の同級生が、
片や総理大臣、片やホームレス
いったいどこが分かれ道だったんだろう…。


興味深いのは、生きているかぎり勝負はつかない。
最後のゴールまで、誰が勝利者かわからない。


クリスチャンとて、いやクリスチャンだからこそ
肉的思いか、聖霊の思いか
「選択」を責められている。
「天国行けるんだったら、この世はなんでもいいや」
という生き方はしたくない。でも、
私自身もいい選択を選び続けることができたと言いきれない…。
この世の思いと神の国の思いと
股裂き状態になったことも!?


しかし、過去には捉われないようにしよう。
過去は未来を変える力にはならないから。


今の「選択」は未来の何を作り出すのだろう。