「待ち望む」

聖書の中に書かれている命令は
私たちが簡単に思いを変えれば実行できる
…というものは、まず少ない。


そうできたら嬉しいけど、
そうできたら楽だけど、
そうできたら悩まないけど…


そうできない。


その中で
「神を待ち望め」という難題がある。
「待つ」だけではなく
「望む」という2つの要素がある。


「神の時」を待てなくて行動し、
そのことが後々、悲劇の種となる。
聖書に出てくる登場人物
アブラハムから始まって、イサク、ヤコブ…)
なんと、この悲劇を身に受けていることだろう。


*しかし、
 その「失敗をも用いられる」ということ。
 そして、その悲劇は退けられない、
 刈り取りはさせられるけど、
 神は、約束されたことを決して
 とりやめない…という
 神様の律儀というか、絶大な憐れみに驚く。


「望む」ことができるのは
「必ず、祝福される」という信仰がないと
望んで待てない。


そう思うと、
以前飼っていた「アンディ」(犬)を思いだす。
ビーフジャーキーが大好物だった。
アンディは得意芸はさほどなかったが
「待て」というと、
いつまでもシッポを振って待った。
ヨダレが垂れても、
「まっ!」と言っても(ビクっとはするが)
食べずに待っていた。


飼い主は「必ずくれる」という信仰があった。。。


その前に、「ムーミン」という犬も飼っていたが
この犬の「芸」は
目を盗んで、チャッと食べてしまう。
昔、オジに散歩を頼んだら、
途中、やきとりを買って
「1本やろう」としたら
反対の手にあった残りのたくさんある方を
目がけて飛びついてゲットしたらしい。
オジは「参った!」を連続してたなぁ…。


ちなみにアンディにも欠点はあった。
「超グルメ」で
古いクッキーなどは
「待て」どころか
匂いだけ嗅いだら、
「そんなのいらない」とばかりに
ガッカリした顔つきで小屋に籠ってしまう。


私は、
シッポを振って
いえ、期待して待つことにしよう。。。