永遠への思い

先日、元通っていた教会の信徒の方が
長寿を全うし、天に旅立ちました。


生前、何度も私に「賛美で見送ってね」と、
お願いされて、
賛美ではなく、奏楽で見送る約束が果たせました。


その葬儀の日、
「私もお願いしたいわ」と
私と歳があまり変わらない友人から言われると、
「どちらが先か、わからないから約束できない」
と答えながら、
自分の残りの人生を想像してしまう。


でも、今は「死」に対しての恐怖は
あまりない。
葬儀の中でも、深い悲しみの中で
一筋の希望がある。それは
「また天国で再会できる」という喜び。
これはクリスチャンの特権かな。


聖書には
地上初の殺人、
アベルとカインでは
正しいものが、妬まれて殺されたり、
ナボテという信仰深い者が
わがままな王の陰謀によって殺される。
モーセなどは、サンザン他人の為に労して
自分は約束された祝福の地「カナンの地」に
目前ながらも、その地を踏むことは許されず命果てる。


先日
震災で助かった方が雪かきを手伝って
屋根から落ちて亡くなったニュースがあった。
震災で助かったのに、津波でも助かったのに
それも、人に親切をして…。
「なぜ…」。
津波で、台風で、事故で…。
この世で終わりなら
絶対、納得が行かないでしょう。


でも、どんなに生き抜いても
100年あまり。
必ず、例外なく肉体が滅び
「死」を迎える。


そして死後
「魂は永遠」
「天国と地獄がある」と聖書が
言われていることが真実なら
どちらを重きに置くか…という考え方になる。
どんなにこの世でかき集めても
どんなものを手に入れたとしても
天に持っていけないなら
何が一番大切なのでしょう。