平安
「永遠」を思う時、
悩んでいることがもしかしたら
小さく見えるかもしれない。
いえ、神様を受け入れるなら
すべてのことは「最善への過程」と思えます。
ただ、クリスチャンになって
正直、悩むことがなくなる訳でも
「災い」「病」がない訳ではない。
「思い通り」になる訳でもないし、
「裕福」になると約束された訳でもない。
むしろ、人を許せないなら
信じる前より苦しむし、
価値観が変わるので
「変わり者」扱いされるし…。
「そこまでして、信じる意味があるのか」
と問われるかもしれない。
<人が信じようと信じまいと「神」は「神」なんですが。>
「三日坊主」の私が教会に行き始めた時
家族のだれも止めませんでしたね。
もちろん、「すぐ止める」と思ったからです。
あれから、20数年。
「信仰は年寄りの信じるものだ」とか
「五体満足に産んだのに何が不満か」とか
父から、だいぶ誹られましたけど。
その父までもがイエス様を信じました。
いつも感じるのは
何とも言えない「平安」に包まれていること。
信じる前との大きな違いです。
これは、自身でしかわからない体験です。
パスカルの名言
「人の心は神によってしか満たされない空洞が空いていて、
神以外の何者をもってしても満たすことができない。
神によって空洞が満たされると人は生きる。」