心のビート

音楽の中でビートは
心臓の音に似ていると思います。


最近のことですが、
60代の方が
お見えになっています。


歌う上で「ビートの大切さ」を話しますが
なかなか難しいらしく
上手くいきませんでした。
ところが、
「楽典」のことを学び始めると
改善に向かい始めています。


つまり、感覚だけ、
やみくもに「●拍」だけでなく、
「理論」の大切さが
立証されたことになります。


神様を感覚的に知っても
それは出会いだけで
自分なりに聖書を解釈しても
意味がわからなかったり、
早とちりしてしまったり、
上手く人生を歩めない。
例えば
「…してはならない」という聖書の言葉が
単なる命令でなく
私たちがサタンに心を奪われないための
神の愛から出たものであることがわかれば
自然に罪から離れていく…。


「傲慢にならないように」するのではなく、
自分の為に十字架に架かったイエス様を思う時、
神の前に膝まづくなら、
自然に高ぶる思いは消される。


牧師先生のメッセージ、
兄弟姉妹の交わりで
多くのことを学び、成長できる。


やはり、
自分の家だけで聖書を読み、
神様を深く理解することはできません。
自分の身を置く「教会」は
必要だと私は思います。