人は「欲」をすてられないのかな。
「欲があるからこそ、向上心が・・・」
そんな話も、会話で出る。


神様の「祝福」に関しては
「恵みの御座に近づきなさい」
「口を大きく開けなさい」
「願いなさい」
「叩き続けなさい」…と
これでもかってカンジで求めることが推奨されている。


ただ、祈る動機が悪かったら、あるいは
その祈りが神を遠ざけるものであったら
聞かれないわけで、
「神の手が短いからではない」と聖書に書かれてある。


「祈り」に関して言うと、
20年くらい前、浜松の教会に通い、
日曜学校の教師をしていた時を思い出す。
その時の中学生のある女子から電話があった。
「あした(日曜日)、部活の試合だから
行けません。お祈りして下さい」
私はこの子の為に祈ったが
「勝つことができるように」と付けくわえた。
その子は意外な言葉を私に投げかけた。
「勝つために祈っていいんですか?」
今でも、その時の言葉が心に残っている。
勿論、牧師先生に聞いたように思うが
肝心な、その記憶はない。


聖書に「ヤベツ」というひとりの男性が出てくる。
なんと、ヤベツはそこだけしか出てこない。


聖書の
歴代誌上 / 4章 9節と10節。
ヤベツは兄弟たちの中で最も尊敬されていた。
母は、「わたしは苦しんで産んだから」と言って、
彼の名をヤベツと呼んだ。
またヤベツがイスラエルの神に、
「どうかわたしを祝福して、
わたしの領土を広げ、
御手がわたしと共にあって災いからわたしを守り、
苦しみを遠ざけてください」と祈ると、
神はこの求めを聞き入れられた。


きょうから、
この祈りを加えようと思います。