思い通りの人生

今の牧師先生からのメッセージの中で
幾度か、語られた印象的なお話がございます。


「自分の思う通りにしたい…というのは
自分が神になりたいと思うことと同じ」です。


先日も、大学生が起こした事件
「子供をバッグ詰め」があった。
いろいろな事件を振り返ると
「自分の思う通りにしたい」の
究極的な行動が事件であり、
人を殺傷するところまで及ぶ。


まさに「自分の思う通りにしたい」
というのはくせ者です。
なぜなら、多かれ、少なかれ、
「自分の思う通りになるならしたい」
ただ、思い通りにならないから
しない、できないだけで誰でもその思いは
持っているでしょう。
ただ、それを行動に移していないだけだと思うのです。


根本で絶対的なものがなければ、
ひとたび踏み外すなら…。


私は思うのです。
正直、私がイエス様を信じてなかったら
「自分の思う通りにしたい」
気持ちは行動まで達していたのでは…。
いえ、それが人ではなく、
自分に矛先が変わっていたかもしれません。


玉川大学工学部の玄関壁に
「神なき教育は、知恵ある悪魔を作る」
ということばが記されているらしいですが…。


「自分の思う通り」
自分の知恵に、より頼んで行く生き方。
でも、それは決して
最高の生き方ではないことを知っています。
それは、イエス様を信じ、
「思う通りにならない」過程を通って、
今、思う通りにならなくてよかった…と
思えるからでしょう。