岐路

結婚して浜松に住んでいた時、
「岐路に立ち、右か左か迷った時、
神の導きがわからない時、
敢て困難な道を選ぶ」と教会メッセージを頂いた。
その時、私の人生を振り返った。
親の敷いたレールに乗っかり
選択も行動も
何も考えていなかったことに気付いた。
そして、自分の思いに反して
荒波に身を委ね、
小、中学校の教員の道に。


22年ぶりに先日、
その時の生徒が娘さんを連れて
ウチに遊びに来られた。
彼女が結婚し、クリスチャンになり
私にとって教師生活は短かったが
まさに困難であった。
でも、それに勝る喜びだった。


あれから時が流れ
今、神様の導き…と言いながらも
やはり、自分の気持ちが
優先しているのでは…と思うことがある。


主人とイスラエルに行ったことがあった。
そのままの生きた聖書の世界だった。
その中で、今でもハッキリ浮かぶ光景がある。
それは、
何時間にも及ぶ、何もない砂漠を
延々とバスで通過した。
イスラエルの民が昼は雲の柱、
夜は火の柱で導かれた「荒野」だった。
その時、
あの、右往左往しやすい、恵みを忘れやすい民が
一人も従わない者がなかった理由がわかった。
昼、何もない砂漠は雲がなければ
焼き尽くされ、
夜、火がなければ真っ暗で何も見えず、
寒さで死んでしまう。


強引な神様の導きに
神のとこしえに深い愛を感じる。
私も強引に導いてほしい。。。


自分の思いに捉われ、翻弄されない為に…。