ヒツジ

イエス・キリストを「羊飼い」とよぶ。
ならば、私たちは「ヒツジ」です。
ヒツジは集団で行動し、迷い易い
…と聞いたことがあります。


最近思うのは、人は
本当に両極端に走り易い。
右往左往していた聖書に出てくる
イスラエルの民を笑いものにはできない。


「神に従いたい」という
気持ちが強くなり過ぎて「律法」に走り…、
はたまた神に委ねる…いつの間にか
怠惰になって堕落していく。
また、「正しさ」の中で生きている人は
いつの間にか、人を裁くようになる。
反対に、人を責められない人は
引きこもってしまう。


私も両極端の思いが出た時、
例えば
「チャレンジする」気持ちと
「過信し過ぎでは?」という思いが交差した時、
今までを振り返ってみる。


前に進む時は押し出されるように
そういう方法しかないように
環境が整えられ、道が備えられてきた。
「恵み」によって歩んできたことを
再確認することができる。


「神を第一としなさい。
そうすれば、与えられます。」という
聖書の言葉が心に響く。
「霊とまことを持って礼拝を守る」ことであり、
神様との会話「祈り」。
やはり、
迷い易いヒツジ…私は
これが頼りです。


迷い易いヒツジでも
「羊飼いの声は聞き分けられる」と聖書にある。
至れり、尽くせりの聖書は
まさに
「人間取り扱い説明書」ですね。
人を創りっぱなしにしないなんて…。


えっ?
迷いにくいヒツジを創ればよかったって?!


なんでも言うことを聞くロボットより
たまにいたずらしたり、
シッポを振って
言うこと聞いたりする子犬を
飼いたいと思う人間の気持ちと
似ているかもしれない。