「舌を制御する」
という意味が「深いな」とつくづく思う。
「言葉」より、「舌」という方が、
自己責任を感じるのは
私だけかもしれませんが。。。


もし、私の言葉をすべて録音されたとして
もう一度、再生してみたら、
「失言」がどのくらいあるだろう。


「塩で味付けた言葉で話しなさい」
そんな聖書の言葉も
しょっぱ過ぎたり、塩気が足りなかったり、
ホトホト、自分の不甲斐無さに情けなくなる。


「舌」の話しより
聖書をお読み頂いた方が
興味深いと思います。
「舌」に関連する聖書の一部を載せてみます。


箴言 / 12章 18節
軽率なひと言が剣のように刺すこともある。
知恵ある人の舌は癒す。
箴言 / 17章 4節
悪事をはたらく者は悪の唇に耳を傾け
偽る者は滅亡の舌に耳を向ける
箴言 / 18章 21節
死も生も舌の力に支配される。
舌を愛する者はその実りを食らう。
箴言 / 21章 23節
自分の口と舌を守る人は
苦難から自分の魂を守る。
ヤコブの手紙 / 1章 26節
自分は信心深い者だと思っても、
舌を制することができず、
自分の心を欺くならば、
そのような人の信心は無意味です。
ヤコブの手紙 / 3章 5節
同じように、舌は小さな器官ですが、
大言壮語するのです。
御覧なさい。
どんなに小さな火でも大きい森を燃やしてしまう。
ヤコブの手紙 / 3章 6節
舌は火です。舌は「不義の世界」です。
わたしたちの体の器官の一つで、
全身を汚し、移り変わる人生を焼き尽くし、
自らも地獄の火によって燃やされます。
ヤコブの手紙 / 3章 8節
しかし、舌を制御できる人は一人もいません。
舌は、疲れを知らない悪で、
死をもたらす毒に満ちています。
ヤコブの手紙 / 3章 9節
わたしたちは舌で、父である主を賛美し、
また、舌で、
神にかたどって造られた人間を呪います。

ペトロの手紙一 / 3章 10節
「命を愛し、幸せな日々を過ごしたい人は、
舌を制して、悪を言わず、
唇を閉じて、偽りを語らず…。


皆さまはどうお感じになりましたか?
私は、耳の痛いこと…モチロンあります。


しかし、この2,3千年ほど前に
書かれたとされる聖書(旧約・新約)に
すでにこのように記されており、
現代に読んでも違和感ないのですから…
なんということでしょう!!