貧しさ

「貧しい者、幸いなり」
そんな聖書の言葉が
最近、特に身近に感じるようになりました。


昨日も、教会メッセージで
「イエス様が低くなられ、『人』として
お生まれになった」
その牧師先生の語られた言葉に、
心が熱くなったのです。


自分が「貧しい」と思えないころ…
初めて教会に行った日、
「私たちは罪びとです」のメッセージに
「ここは更生所だった?!」と驚くとともに、
「一緒にしないでほしい」
と思ったあの日が懐かしい。
そして、
人を許すことが、なかなかできなかった…。
今は自分が「貧しい」ことを知り
人を許すことが以前ほど難しくなくなりました。


「不条理」な出来事が起こる度
「神はいるのか」と人は言います。
正直、簡単に応えられる方はおられないでしょう。
ただ、言える事があります。
それは、
私たちの罪の身代わりに
その罰を受けられた…という「最高の」と言うべきか、
「最悪の」と言うべきか、この上ない
「不条理」を神ご自身が行ったことです。


私はこの「愛」を心で知るまで
時間がかかりました。
でも今は、「貧しさ」を知ることによって得られた
幸せがあります。
「貧しい者、幸いなり」
神様ならではの逆転の発想ですね。


お近くの*プロテスタントの教会で
「本当のクリスマス」を味わってみては…。


統一教会モルモン教エホバの証人ものみの塔
とは異なります。




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