証人(2)

どこまで行っても
神様の「知恵」を理解することはできませんが。


旧約の時代、
預言者を通して神が直接語られた時代が
実はあったのです。
でも、民は奇跡を見ても
すぐに忘れ、「都合のよい神」を求め、
結果、裁かれたのです。。。


結局のところ、
人は自分を含めて「頑な」な者なのでしょう。
旧約の時代に生きていたら
果たして誰が
「私は神に裁かれない方だ」と
言い切れるでしょうか。


「愛」については…。


被災地で。(抜粋)
NHKの男性アナウンサーが
被災状況や現況を淡々と読み上げる中、
「ストレスで母乳が出なくなった母親が
夜通しスーパーの開店待ちの列に並んで
ミルクが手に入った」と紹介後、
絶句、沈黙が流れ、放送事故のようになった。
すぐに立ち直ったけど泣いているのがわかった。


自分の荷物の中に簡易食料や
おむつと粉ミルクを隠し入れてる自衛官がいる。
見つかった人もいるけど
「自分が使います」って返すのを聞いて、
それを怒りながら許す上官。
救助以外でできる事を模索してくれてる、
厳罰も覚悟で。>



真実の「愛」に触れると感動するように
人は創られているようです。
真実の「愛」というものは
人が好む、かっこいい「やり方」ではなくて
もしかしたら
「愚かに見える」ことかもしれない。


お子さんを持っておられる方は
きっと「無条件の愛」を
知っていらっしゃるでしょう。
母が子に対する「愛」は
神様の愛に似ています。


「十字架の愛」を思う時
一方的に愛されていることに
胸が熱くなるのです。


(第一コリント13章)
「愛は忍耐強い。愛は情け深い。
ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。
礼を失せず、自分の利益を求めず、
いらだたず、恨みを抱かない。
不義を喜ばず、真実を喜ぶ。」





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