生きている過程

「人生すべてが過程」とするならば
よいことがあっても一喜できず、
悪いことがあっても一憂することもない訳で
それも最後の最後、
最期の時に自分自身が
結論を出せる…いえ、
その感想がこの世での
「人生」すべてだとしたら…。


以前、
私が浜松で教員をしていた時、
一番の楽しみは
朝礼で「校長先生のありがたいお話」を
拝聴させていただくことでした。
その中で、今でも忘れないお話があります。
完璧に覚えていなかったので
書けませんでしたが、
やっと、わかりました。


中国の逸話です。
(コピーさせていただきました)


  「人間万事塞翁が馬
中国の北の方に占い上手な老人が住んでいました。
さらに北には胡(こ)という異民族が住んでおり、
国境には城塞がありました。
ある時、その老人の馬が
北の胡の国の方角に
逃げていってしまいました。
この辺の北の地方の馬は良い馬が多く、
高く売れるので近所の人々は
気の毒がって老人をなぐさめに行きました。
ところが
老人は残念がっている様子もなく言いました。
「このことが幸福にならないとも限らないよ。」
そしてしばらく経ったある日、
逃げ出した馬が胡の良い馬を
たくさん連れて帰ってきました。
そこで近所の人たちがお祝いを言いに行くと、
老人は首を振って言いました。
「このことが災いにならないとも限らないよ。」
しばらくすると、
老人の息子が
その馬から落ちて足の骨を折ってしまいました。
近所の人たちがかわいそうに思って
なぐさめに行くと、老人は平然と言いました。
「このことが幸福にならないとも限らないよ。」
1年が経ったころ胡の異民族たちが
城塞に襲撃してきました。
城塞近くの若者はすべて戦いに行きました。
そして、何とか胡人から守ることができましたが、
その多くはその戦争で死んでしまいました。
しかし、老人の息子は足を負傷していたので、
戦いに行かずに済み、無事でした。
「城塞に住む老人の馬がもたらした運命は、
福から禍(わざわい)へ、
また禍(わざわい)から福へと
人生に変化をもたらした。
まったく禍福というのは予測できないものである。」


…というお話しです。


天地創造の聖書の神を
信じているなら、
「すべては神の御手の中」と
委ねる場所を知っている。


…とは言っても
想定外なことが起こると
「信仰」が音もなく崩れることもある。
しかし、憐れみ深い神だからこそ
立ち上がらせてくださる…
そればかりではない。
以前よりパワーアップして
ヴァージョンアップして
人生の荒波に立ち向かえる。


それは、
ひとりでは戦えないことを悟るからです。
エス様とともにいることを
選択できるように変えられていく。


パウロのことばがピッタリかもしれません。
「私は弱い時にこそ、私は強い」


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