キリストにある、兄弟

先日の「着ぐるみ」の話しで
「至難のわざ」…と申したのも
汗だくで目に汗が入っても拭けず、
パンダを着ていることを忘れて
何度もパンダの顔をなでてしまいました。
教会のY兄が目の見えなくなった私を
介助して、手を引いてくださったことを
昨日のことのように覚えています。
Y兄がいなかったら、子供たちに皮を剥がれ、
「イナバの白ウサギ」
いえ、ウサギじゃなくて
イナバのパンダになっていたことでしょう。
…お世話になりました。
でも、不思議に
「サンザン」と言っても、楽しかった思い出です。


ところで「Y兄」って?!
思われた方はおられるかもしれません。
教会はみんな兄弟姉妹ということで
そう呼ぶことがあります。
(や〜さんの世界もそうなんですか?!)


今、通わせていただいてる教会で
きょう、(いえ、もう昨日のことですね)
賛美させていただきました。
(「キリストの着ぐるみ」を着て演奏を
…もちろん、心で)
特にいつも接しているので
お兄さん、お姉さん…皆さん、そう感じます。


でも、今まで出会ったクリスチャンの中には
どうも気が合わなかったり、
とても兄弟とは思えないような人も
正直、おりました。


でも、ごくごく最近ですが、
それは私の至らなさ…の場合もあるんだ
いえ、その場合の方が多いかもしれない。
そう思えるできごとがございました。


今、ある小学生の姉妹を
同じ時間に教えていますが
いつもケンカをします。
私はいつも中立で制裁しておりますが、
ある日、
ケンカの後、突然、妹の方が
「ごめんなさい。本当は大好きだから!」
そう言って、
ピアノを弾いているお姉ちゃんを
背後から抱きしめたのです。
もちろん、ワダカマリは
見ているうちに溶けていきました。
それ以来、ケンカをしても
どことなく以前と違うように感じます。


妹がなぜ、
そこまで突き動かされたかは不明ですが、
私は、その光景を見て感動したのです。
そして、私自身を思いました。
そこまで人を愛せなかったこと…
そういう愛をなおざりにしてきたことを。


聖書に兄弟に売られたヨセフの話しがあります。
その兄弟に再会した時
ヨセフは「声を上げて泣いた」と。
本当は兄弟を愛おしかったのでは…。
その気持ちが重なりました。









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