十字架の重み

「ケンカするほど仲がいい」
という言葉もありますが、
私も弟とケンカした思い出があります。
そんな時、両親は決まって
「ケンカは両方が悪い」とか言いながら、
「お姉ちゃんなんだから、先に謝んなさい」
私は、いつも「損をした」と
後に生まれた弟を羨んだりしました。


でも、今思うと妹とか弟とか、
弱い立場の者は上の者には
権力では立ち向かえない。
先に手が出るのは上だし、
叩く強さも敵わないだろう。


先日の話も、
妹の方がどう見ても分が悪い。
その妹が一方的に謝ったこと…
「私が先に謝ったんだから謝ってよ」的な
体裁でのものではなく、心から、
真心のことからだったのが伝わって感動したのだ。


罪のないイエス・キリスト
罪ある私たち万人のために処刑された…。



エス様を信じると、
光に照らされるように
自分の汚さが明るみになります。


ある時、意地悪をする人に
「なぜ、放って置くのですか」と、
心の中でその人を殺している自分を
発見して、驚いたことがあります。


ある時は
涙を流して祈っていると
「自分のために流せる涙はたくさんある」と。
人より、いつも自分を優先していることに
気付かされたもあります。
…正直、キリがない。


でも、その汚さを知ることが
エス様の十字架を深く知ることになりました。
汚さを知らないばかりか
努力で「清さ」を得ることができるなら
キリストの十字架は軽い…
いえ、無意味になるのでしょう。


もう、信仰歴30年…になりますか。。。
エス様から遠く離れた…と
感じたことはありましたが、
決して離れることはなかった。
三日坊主の私には「奇跡」としか
言いようがありません。











★このページにある宣伝は

私が出しているものではありません。

このブログをお借りしている

はてな」さんが出しているものです