幼子のように

主人の話しで…
「結婚した当初はもっと純粋な、
『自分もそうなりたい』と思わせるような
真っすぐな信仰がお前にはあった。」


そう、「あった」ということは
「今はない」という話です。


確かに思いあたる節があります。
今より、昔は感情の起伏がありました
…子供のように。



浜松の小、中学校の教員をしていた時、
初めての「卒業式」を迎えた日、
生徒と抱き合って大泣きし
担任の先生より
「まるで、今生の別れね」と笑われ、
2度めの経験の時は歯を食いしばって
泣かないように努力をした。
不思議に3度め以降は
努力しなくても泣かずにいられた。


最近、
「教える事がむいているのだろうか」
と思うことがある。
なぜなら、昔のようではない。
「何が何でもこうするのだ」的なパッションが
なくなったのか、
教え方に余裕が出たのか。


「出る杭は打たれる」
といろんな所で、言われていた…
でも、今は「守り」に入っているのか
あまり言われなくなった。


果たして、それが成長したことなんだろうか。


神様をまっすぐ見上げていた筈だったのに、
私はもしかしたら
「成長」という言葉に惑わされて
駆け引きの上手な「おとな」に
なってしまっていたかもしれない。


「はじめの愛から離れてしまった」
(聖書:ヨハネ黙示録)
どうしたら、はじめの愛に
幼子のような信仰に、戻れるのだろう。









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